妙法蓮華経薬草喩品(偈文)~ほとけさまの教えは恵みの雨~

法華経

今回は、法華経の本質を描いている章
妙法蓮華経薬草喩品みょうほうれんげきょうやくそうゆほん」(偈文)を紐解いていきましょう。

開経偈

妙法蓮華経薬草喩品(偈文)~如来の教えは恵みの雨~

破有法王 出現世間 随衆生欲 種種説法はうほうおう しゅつげんせけん ずいしゅじょうよく しゅじゅせっぽう
如来尊重 智慧深遠 久黙斯要 不務速説にょらいそんじゅう ちえじんのん くもくしよう ふむそくせつ
有智若聞 則能信解 無智疑悔 則為永失うちにゃくもん そくのうしんげ むちぎけ そくいようしつ
是故迦葉 随力為説 以種種縁 令得正見ぜこかしょう ずいりきいせつ いしゅじゅえん りょうとくしょうけん

お釈迦さまはお話を聞いていた迦葉かしょうさんと、他の弟子たちにこう言いました。

教えの王であるわたしは、迷いの世を打ち砕く存在としてこの世に現れました。
そして、この世に存在している人びとが求めていることをすべて理解したうえで教えを説いています。
ただし、長い間あえて秘密にして説いてこなかったこともあります。
それは、如来の存在についてです。如来という存在は、とても貴重で重要であり、その智慧はとても深いものであるということです。
なぜこの真実を秘めていたかというと、賢明な理性の持ち主はすぐに理解し、教えを護っていくでしょうが、そうではない者たちは真実を疑い、道を失って迷ってしまうからです。 ですから、わたしの教えを聞く者たちの理解の能力に応じて様々な方法を使って正しい見解へと導いているのです。

迦葉当知 譬如大雲 起於世間 徧覆一切かしょうとうち ひにょだいうん きおせけん へんぷいっさい
慧雲含潤 電光晃曜 雷声遠震 令衆悦予えうんがんにん でんこうごうよう らいしょうおんしん りょうしゅえつよ
日光掩蔽 地上清涼 靉靆垂布 如可承攬にっこうえんべい じじょうしょうりょう あいだいずいふ にょかじょうらん
其雨普等 四方倶下 流澍無量 率土充洽ごうふとう しほうくげ るじゅむりょう そつどじゅうごう
山川険谷 幽邃所生 卉木薬草 大小諸樹せんぜんけんこく ゆうすいしょしょう きもくやくそう だいしょうしょじゅ
百穀苗稼 甘蔗蒲萄 雨之所潤 無不豊足ひゃっこくみょうけ かんじゃぶどう うししょにん むふぶそく
乾地普洽 薬木並茂 其雲所出 一味之水かんじふごう やくもくびょうむ ごうんしょしゅつ いちみしすい
草木叢林 随分受潤 一切諸樹 上中下等そうもくぞうりん ずいぶんじゅにん いっさいしょじゅ じょうちゅうげとう
称其大小 各得生長 根茎枝葉 華果光色しょうごだいしょう かくとくしょうじょう こんぎょうしよう けかこうしき
一雨所及 皆得鮮沢 如其体相 性分大小いちうしょぎゅう かいとくせんだく にょごたいそう しょうぶんだいしょう
所潤是一 而各滋茂しょにんぜいち にかくしむ

それはどういうことかというと、例えば、大きな雲が立ちのぼり、この世全てを覆ったとしましょう。この雲は清く潤っていて、稲妻は光輝き、雷鳴をとどろかせ、人びとを喜ばせる恵みの雲です。
灼熱の太陽の光をさえぎり、大地を清く冷まし、たなびく雲の潤いは人びとの手に届くところまで降りてきます。
雨はすべての大地を等しく潤し、至るところに流れ、乾いていた大地を活気づけることとなるでしょう。

山や川や渓谷には草木や薬草、あるいは大小の樹木、様々な穀物、サツマイモやブドウなどが生息し、雨の恵みは、すべての大地を不足なく満たしていきます。乾いていた大地はどこもかしこも潤い、薬草も樹木もたっぷりと茂り、同じ雲から降り注いだ同じ味の水を、植物たちはそれぞれの環境に応じて吸い上げていくことでしょう。
太い樹木も、小さな樹木も、上等なものも中等も下等も、その大きさや形に応じて、それぞれ成長していきます。根も、茎も、枝も、葉も、それぞれが成長し、雲から降った雨によって花を咲かせ、実を結ぶことでしょう。

同じ雨であっても、植物はみんなそれぞれ鮮やかに潤うのです。
形や大きさや特徴が違う植物であったとしても、同じ恵みの雨によってもたらされた環境の中でそれぞれが成長していくのです。

佛亦如是 出現於世ぶっちゃくにょぜ しゅつげんのせ
譬如大雲 普覆一切 既出于世 為諸衆生ひにょだいうん ふふいっさい きしゅっつせ いしょしゅじょう
分別演説 諸法之実 大聖世尊 於諸天人ふんべつえんぜつ しょほうしじつ だいしょうせそん おしょてんにん
一切衆中 而宣是言 我為如来 両足之尊いっさいしゅちゅう にせんぜごん がいにょらい りょうぞくしそん
出于世間 猶如大雲 充潤一切 枯槁衆生しゅっつせけん ゆにょだいうん じゅうにんいっさい ここうしゅじょう
皆令離苦 得安穏楽 世間之楽 及涅槃楽かいりょうりく とくあんのんらく せけんしらく ぎゅうねはんらく
諸天人衆 一心善聴 皆応到此 覲無上尊しょてんにんじゅ いっしんぜんちょう かいおうとうし ごんむじょうぞん
我為世尊 無能及者 安穏衆生 故現於世がいせそん むのうぎっしゃ あんのんしゅじょう こげんのせ
為大衆説 甘露浄法 其法一味 解脱涅槃いだいしゅせつ かんろじょうほう ごほういちみ げだつねはん
以一妙音 演暢斯義 常為大乗 而作因縁いいちみょうおん えんちょうしぎ じゅういだいじょう にさいんねん

乾いた大地に出現した大きな恵みの雲のように、如来もまた、この世の生きとし生ける者たちを救うために出現するのです。あらゆる物事の真実を語り、示してくれるのです。
その偉大で尊い聖人である如来は、神々のいる場所からこのようにわたしたちに語りかけてくれるのです。

「わたしは、生きとし生ける存在の中でもっとも尊い存在である如来です。わたしは、乾いた大地を潤す大きな恵みの雲のように、心が乾き、枯れてしまった者に潤いを与え、苦しみから解き放つために、この世に出現したのです。
苦しんでいる者に穏やかな幸福と平安をあたえ、心地の良い涅槃へと導きます。
神々も、人間たちも、善い心でわたしの声を聴いてください。
近づいて、私の存在を見てください。
わたしはあなたがたにとって、他のどの存在とも比べられないほど、尊い存在です。
わたしはあなたたちすべてを幸せにするために、この世に出現したのですよ。
たくさんの方々のために、清らかで美しい真理を語ります。その教えは全て同じ味です。つまり、苦しみからの解放の味であり、穏やかな涅槃ねはんの味です。
このように心地の良い声で、この真実について説き、語っているのです。
悟りというゴールへ導いてくれる大きな乗り物には、どんな存在でも、誰でも乗ることができます。わたしはそのためのさまざまな縁を紡いでいるのです。

我観一切 普皆平等 無有彼此 愛憎之心がかんいっさい ふかいびょうどう むうひし あいぞうししん
我無貪著 亦無限礙 恒為一切 平等説法がむとんじゃく やくむげんげ ごういいっさい びょうどうせっぽう
如為一人 衆多亦然 常演説法 曽無佗事にょいいちにん しゅだやくねん じょうえんぜっぽう ぞうむたじ
去来坐立 終不疲猒 充足世間 如雨普潤こらいざりゅう じゅうふひえん じゅうそくせけん にょううふにん
貴賤上下 持戒毀戒 威儀具足 及不具足きぜんじょうげ じかいきかい いぎぐそく ぎゅうふぐそく
正見邪見 利根鈍根 等雨法雨 而無懈倦しょうけんじゃけん りこんどんごん とううほうう にむけげん
一切衆生 聞我法者 随力所受 住於諸地いっさいしゅじょう もんがほうしゃずいりきしょじゅ じゅうおしょじ

わたしはすべての存在を平等にみています。ひいきも差別もしません。好きだとか嫌いだとかいう心もありません。執着もなければ、妨げもありません。
つねに、ただ、すべての存在のために、平等に教えを説いているのです。
聞いてくれている存在が一人でも、たくさんでも、同じことです。ただひたすら真理を説き続け、他の事には関わりません。
歩いているときも、座っているときも、立ち止まっているときも、疲れや惰性を感じることなく説きつづけています。
それはまるで雨が乾いた大地を潤すように、この世を満たすのです。
身分の上下に関わらず、戒律を守っていようといまいと、正しい見解を持っていようといまいと、優れていても劣っていても、わたしはひたすら、平等に真理の教えという雨を降らせるのです。 全ての生きとし生ける者はわたしの教えの雨を等しく聞き、それぞれができる範囲で、それぞれの環境でその潤いを吸い上げていくのです。

或処人天 転輪聖王 釈梵諸王 是小薬草わくしょにんでん てんりんじょうおう しゃくぼんしょおう ぜしょうやくそう
知無漏法 能得涅槃 起六神通 及得三明ちむろほう のうとくねはん きろくじんづう ぎっとくさんみょう
独処山林 常行禅定 得縁覚証 是中薬草どくしょせんりん じょうぎょうぜんじょう とくえんがくしょう ぜちゅうやくそう
求世尊処 我当作佛 行精進定 是上薬草ぐせそんしょ がとうさぶつ ぎょうしょうじんじょう ぜじょうやくそう
又諸佛子 専心佛道 常行慈悲 自知作佛うしょぶっし せんしんぶつどう じょうぎょうじひ じちさぶつ
決定無疑 是名小樹 安住神通 転不退輪けつじょうむぎ ぜみょうしょうじゅ あんじゅうじんづう てんぷたいりん
度無量億 百千衆生 如是菩薩 名為大樹どむりょうおく ひゃくせんしゅじょう にょぜぼさつ みょういだいじゅ

わたしの教えの雨を受ける者の中には、武力を用いず正義によって世界を統治する理想的な王もいれば、神々の王となるインドラやブラフマンという神もいるでしょう。これらは小さな薬草と言われます。
あるいは、自分から涅槃ねはんの境地に至り、六つの神通力を得て、三つの智慧をも獲得してひとり山に入り、つねに禅を行ったことで縁覚えんがくという羅漢らかんさんになる者もいるでしょう。これは中くらいの薬草にあたります。
また、お釈迦さまを目指し、自分自身が如来になろうと努力し、瞑想をする者もいるでしょう。これは最上の薬草と言われます。

慈しみと穏やかさを常に保ち、真面目に修行を続ける如来の子どもたちもいるでしょう。自分自身が間違いなく如来になれると確信した彼らは、小さな樹木と呼ばれます。 神通力を獲得し、けっして後戻りをせずに、多くの存在を苦しみや迷いから救う者もあるでしょう。彼らは大きな樹木です。

佛平等説 如一味雨 随衆生性 所受不同ぶつびょうどうせつ にょいちみう ずいしゅじょうしょう しょじゅふどう
如彼草木 所稟各異 佛以此喩 方便開示にょひそうもく しょほんかくい ぶっちしゆ ほうべんかいじ
種種言辞 演説一法 於佛智慧 如海一滴しゅじゅごんじ えんぜついっぽう おぶっちえ にょかいいっちゃく

如来の説く教えは、一味の恵みの雨のように平等ですが、大地に茂る草木のように、あなたがたの受け取り方はそれぞれです。
ですから、如来はたとえ話やたとえ話を使って、さまざまな表現をもちいて一つの真実を説いているのです。 それぞれの表現は、如来の持つ智慧の海の一滴のしずくのようなものなのです。

我雨法雨 充満世間 一味之法 随力修行がうほうう じゅうまんせけん いちみしほう ずいりきしゅぎょう
如彼叢林 薬草諸樹 随其大小 漸増茂好にょひぞうりん やくそうしょじゅ ずいごだいしょう ぜんぞうむこう
諸佛之法 常以一味 令諸世間 普得具足しょぶっしほう じょういいちみ りょうしょせけん ふとくぐそく
漸次修行 皆得道果ぜんししゅぎょう かいとくどうか

わたしは真理の雨を降らせて世の中を満たし、潤します。その雨は同じ一味の雨ですが、その世の中に生きている者はそれぞれの能力に応じて修行をする。それは、薬草や樹木などが、姿かたちに応じてそれぞれ成長するのと同じことなのです。 つまり、如来の説く真理はつねに同じ味の雨ですが、どのような環境に生きているどのような存在であっても、みんなを満足させるのです。みんながそれぞれに修行をし、みんな悟りというゴールに達することができるのです。

声聞縁覚 処於山林しょうもんえんがく しょおせんりん
住最後身 聞法得果 是名薬草 各得増長じゅうさいごしん もんぼうとっか ぜみょうやくそう かくとくぞうじょう
若諸菩薩 智慧堅固 了達三界 求最上乗にゃくしょぼさつ ちえけんご りょうだっさんがい ぐさいじょうじょう
是名小樹 而得増長 復有住禅 得神通力ぜみょうしょうじゅ にとくぞうじょう ぶうじゅうぜん とくじんづうりき
聞諸法空 心大歓喜 放無数光 度諸衆生もんしょほうくう しんだいかんぎ ほうむしゅこう どしょじゅじょう
是名大樹 而得増長ぜみょうだいじゅ にとくぞうじょう

聲聞しょうもん縁覚えんがくとよばれる羅漢らかんさんが、山の中で修行をして、これ以上生まれ変わることのない最高の境地に達するというのは、羅漢らかんさんという薬草が成長していくということです。

たくさんの菩薩ぼさつさまたちが確固たる智慧を持ち、あらゆる世界の知識を得て、悟りまでの最上の乗り物を求めるというのは、菩薩さまという小さい樹木が成長していくということです。 また、禅の修行を行い神通力を得て、「すべての物は実体のない【空】である」という真実を聞いて喜び、たくさんの光を放ってあらゆる存在を苦しみから救う者がいたとしたら、それはちょうど大きな樹木が成長を遂げた、ということなのです。

如是迦葉 佛所説法にょぜかしょう ぶっしょせっぽう
譬如大雲 以一味雨 潤於人華 各得成実ひにょだいうん いいちみう にんのにんけ かくとくじょうじつ
迦葉当知 以諸因縁 種種譬喩 開示佛道かしょうとうち いしょいんねん しゅじゅひゆ かいじぶつどう
是我方便 諸佛亦然 今為汝等 説最実事ぜがほうべん しょぶつやくねん こんににょとう せっさいじつじ
諸声聞衆 皆非滅度 汝等所行 是菩薩道しょしょうもんじゅ かいひめつど にょとうしょぎょう ぜぼさつどう
漸漸修学 悉当成佛ぜんぜんしゅがく しっとうじょうぶつ

迦葉かしょうさん、このように如来の説く教えというのは、大きな潤いの雲が降らせた恵みの雨と同じなのですよ。その一味の雨によって人びとは潤い、花を咲かせ、実を結ばせることができるのです。
よく覚えていてくださいね。わたしはさまざまな縁を紡いで、あらゆるたとえ話を用いて悟りへの道を示しているのです。わたしだけではなく、他の如来も同じように方便を駆使してたくさんの生きとし生ける者たちを救おうとしているのです。

今、あなたのために一番大切なことを教えましょう。

「自分自身のことだけを考えて悟りを目指す羅漢らかんさんは、本当の穏やかな涅槃ねはんに入ることはできません。あなたたちがするべきことは、【菩薩道ぼさつどう】の実践です。しっかりと修行を行い、正しい悟りの境地に達するのですよ。」

法華成仏偈

参考文献

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妙法蓮華経薬草喩品の動画

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