寒さが厳しい日が続きますね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
寒くてもやることは減らないし、毎日いそがしく過ごされている方も多いかと思います。
私も漏れなくバタバタと生きています。むしろ、いそがしいことを美徳にすら感じる今日この頃です。
私は毎朝7時ごろ、家を出て仕事に向かいます。寒いとつい、手をこすりながら猫背になってしまうし、外に出るのがおっくうになってしまう日もあります。
だらしないな、なんて思いながら、いつもの風景をいつものように眺めつつしばらく歩くと、あるお宅の前を通ります。そのお宅には、毎朝必ず玄関前を掃除している男性がいらっしゃいます。80代くらいでしょうか。
その方は、今日のような寒い日だけではなく、夏の暑い日も、雨の日も、風の強い日も、必ず毎朝自宅の玄関前を掃除しています。
その男性は、私みたいに「寒い日に外に出るのはおっくうだな」「暑いから家にいたいな」なんて
まるで思っていないような雰囲気で、たんたんと、もくもくと、毎朝必ず、毎日同じようにお掃除をしているのです。
数年間毎朝そのお宅の前を通っていますが、玄関周りは落ち葉一つなく、常に綺麗に保たれています。私はその男性を『ほうきのおじいちゃん』と呼び、ひそかに尊敬していました。
数日前、そのお宅に引っ越しのトラックが停まっているのを見かけて、「あれ?お引越し?」と思っていたら、その翌朝から『ほうきのおじいちゃん』を見かけることはなくなってしまいました。
少し寂しいような気持ちでしたが、どのような事情があったのかはわかりません。いずれにしても、『おじいちゃん』は新しい生活に移られたのだと思います。
それまでしっかりとカーテンがかかっていたお部屋の窓が開け放たれ、玄関も開け放たれ、数日間はお部屋の中がすっかり丸見えの状態となっていました。人様のお宅を覗こうだなんて気持ちは微塵もありませんでしたが、正直なところ、主婦心というのか、お部屋の中がどのように整理整頓されているのか興味があったのも事実でした。
ちらり、と目を向けてびっくり。
なんと、完璧な外観を保っていたそのおうちの部屋は、大量の物で溢れかえっていました。それも、引っ越し作業によるものというよりは、日常的に物の多かった様子が見て取れました。『ほうきのおじいちゃん』のお宅は、すみずみまで完璧に掃除されていたわけではないようで、外と中とで印象のまるで違うお宅だったことがわかったのです。
それを見て、わたしは驚いたというより、意外だなと思いつつも少し安心しました。なんとなく、このお宅はこれのバランスがベストだったんじゃないかな。そう思ったのです。外見は綺麗に整えられているけれど、中は落ち着く仕様になっていて、『ほうきのおじいちゃん』は毎日ここで心地よく過ごしていたならいいな。と。
なんだか、わたしたちはみんな、似たようなバランスで生きているのかもしれない。
飛躍して考える癖のある私は、こんなことまで考えてしまいました。
つまり、『本当の自分』のうち、見た目が占める割合はどれくらいなんでしょうか。
匂いも自分、声も自分です。さらには、心も自分、思考も自分。と考えると、目に見える表面的な『わたし』は本質的な『わたし』1割もないかもしれません。つまり、私たちが普段目にしている物は、そのものの本質の1割に満たないのかもしれません。
情報が複雑化する今日この頃を生きる私たち。タイパやコスパが美徳として叫ばれており、シンプル化ブームも巻き起こっていますが、間接的に、複雑な思考や感情を持つこと自体を否定されているように感じることもあります。
私も、思考や部屋やファッションは、シンプルなのが好みです。捨て活大賛成だし、To Doリストで思考整理することも大好きです。ミニマリストに憧れる節もありますし、効率がいいのも好きです。言い換えれば、私は、私のすべてをシンプル化したくなるのタイプの人間なのです。
そうすると、どうなるでしょうか。
ぐちゃぐちゃと感情と理屈が交差する思考で凝り固まったとき、『なんて私はダメなんだろう』と思うのです。感情的になっている自分を叱ったり、落ち込んだりするのです。
部屋も服もメイクもきれいに整えておこう、感情が乱れてちゃだめ、常に冷静に、頭の中が整理されてなきゃいけない、効率が良くなきゃいけない、全てを整えて、シンプルにしなきゃ・・・。望んでいることとは裏腹に、思考の波の中でどんどん追い込まれ、溺れそうになることもよくあります。
落ち着いて考えてみれば、当たり前のことです。
人間として生まれてきた私たちは、物事を複雑に考える癖があります。それをどれだけシンプルにしようと躍起になったところで、無理なのです。人間は、考える生物だから。わたしたちの思考は、宇宙のようにいくらでも広がっていけるほど果てしないものなのです。果てしなく広いものを、箇条書きにして整えるのはむずかしいでしょう。
もし、『ほうきのおじいちゃん』が部屋の中まで完璧に掃除する人だったら、やることに追われて疲弊する人生になっていたかもしれません。落ち着ける場所がなく、何をしていてもそわそわしていたかもしれないし、必要なものが手に取れる場所になく、不便な生活になっていたかもしれません。
『おじいちゃん』はきっと、この部屋はこういう場所、外はこういう場所、とそれぞれのあり方を認め、それに従って毎朝を過ごしていたように思います。
私たちに必要なのはきっと、必要以上にシンプル化させようとすることではなく、複雑な思考を否定しないことなのだと思います。自分をせかさず、否定することなく、たとえぐちゃぐちゃだったとしても、自分の心や考えを認めてみると、却ってシンプルな結果になることもあるかもしれません。これはこれでいいんだ。と腑に落ちるかもしれません。
『ほうきのおじいちゃん』には、朝のわたしのこんな考えの主人公になっていただいてしまいました。勝手なことを考えてしまって、ごめんなさいと心の中で話しかけます。
見かけなくなってしまった『ほうきのおじいちゃん』。平穏な新生活を祈りつつ、そんなことを考えたのでした。


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